フェルデンクライス との出会い④

ATMは

簡単なものから

難しいものまで

たくさんのバリエーションがあります。

 

誰でも受けることができるし

適切にすれば

たくさんの恩恵を受けることができる。

 

適切、というのは

出来る、出来ない

の「結果」にこだわるのではなく

簡単なものでも難しいものでも、

どのように動いているのか、

の「過程」にこだわる、

ということ。

 

その適切さ、

というのは

プラティクショナーが教えるのではなく、

自分自身が試行錯誤し学ぶものだと感じています。

 

 

 

 

トレーニングで

いつものように

ATMレッスンを受けた後、

 

あれ?世界がぐるぐるする…

立てない…

 

天井と床の位置関係が

わからなくなりました。 

数時間、横になって

めまいがおさまったら帰宅。

 

この日を境に

トレーニング中は同じ症状が続きました。

 

 

トレーナーに 

 

もっと小さな範囲で動いて、イメージだけでもいい。

それから

快適な場所が会場の外なら自由にしてね。

  

と、言われました。 

 

 

自分では

すごーくすごーく小さく動いているのに

ぐるぐる世界がまわりはじめる

 

あ、これでは

まだ大きいのかと気づき、動きをやめて、

めまいがおさまるのをひたすら待つ。

 

待っている間は

受講途中に

退出するなどあり得ない

聞き逃したら

勉強が1人だけおくれてしまうのではないか

と焦りが頭の中を駆け巡っていました。

  

でも

体がついていかない…

 

ひどい時は少し触れられるだけでめまいがする

 

何もできなくなっていく絶望感と不安感は

けっこうなものでした。

  

もがいた数日後、

めまいが出そうなかんじがしたら

いったん、全て手放そう。

自分の中で答えが出ました。

 

そこからは 

受講するときは

自分の心身の心地良いことだけに意識を向ける。

違和感を感じたら、体も思考も休む。

休むときは心地良いと感じる場所で。

 

体の声に真正面から耳を傾けて行動する

という体験。

 

すごくシンプルなことなのですが

今までしたことのない行動の仕方でした。

 

そうすることで

気づいてきたことがありました。

 

めまいはある

けど

小さい範囲で動ける。

同時に

めまいに関する一連のエピソードが

「怖れ」という感情と結びつき

体をこわばらせより動かなくさせている

と。

 

そこから

恐怖心は

好奇心へと

置き換わっていきました。

 

レッスン中も

レッスン後も

自分の中に入る新しい感覚を

どんな過程を経て

めまいがおさまっていくのか

体が適応していくのか

に意識をむける。

そして、積極的に休む。休む。休む。

 

 

振り返ってみると

ATM中に首あたりに不快さがチラッとあったのに

まあ、大丈夫かな、

とそのまま続けてしまったこと

 

また

めまいがでる という恐怖心が

さらなるめまいを呼び水にしていたこと、

感情が

体に大きな影響を与えていたということ。

 

逆を言えば

体が緊張した状態を解放すれば

感情が安定するきっかけとなる

ということ。

 

 その気づきとともに

 めまいは少しずつ改善していきました。

 

人間って、おもしろい。

 

多くの時間を必要としましたが

小さく、ゆっくりと、快適な範囲で

という適切さの意味を

動きだけでなく

心も

環境も

適切とは何かを学習した

大きな大きな出来事でした。